アフリカの大湾曲部、ギニア湾に浮かぶ火山島のサントメ島、プリンシペ島、その周辺の島々からなる島嶼国です。大陸に近く小さい島がプリンシペ島、面積の大きく大陸からより離れたサントメ島に首都のサントメがあり、人口の約90%がサントメ島に住んでいます。
1469年から1471年にかけて、ポルトガルの航海者・探検家のジョアン・デ・サンタレンとペロ・エスコバルによって発見されるまで無人でしたが、大陸との交易に利用する目的で領有され、1493年にはポルトガル王から島を賜ったアルバロ·カミニャによってサントメ島に入植が開始され、1500年には同様にプリンシペ島にも入植が開始されました。入植者の誘致は困難を極め、初期の入植者の多くは主にユダヤ人の流刑者たちでした。入植者は、島の火山性の土壌が農業、特に砂糖、ついでカカオの生育に適していることを発見し、過酷な労働のためコンゴ王国をはじめとするアフリカ本土から大勢の奴隷の輸入を開始、16世紀から17世紀にかけては奴隷貿易の中継基地へと発展していきます。奴隷制度廃止後も、農園主の農園労働者に対する待遇は変わらず、労働者たちの不満は募っていきます。1960年にサントメ・プリンシペ解放委員会が設立され、独立運動が本格化。ポルトガルが植民地からの撤退を決めると、1974年に暫定政府が設立され、1975年7月12日に正式に独立。と同時にポルトガル人が本国に帰ると経済は破綻し、世界最貧国の一つに。独立当時は旧社会主義国家寄りの政策だったものの、80年代からは新西欧、親米路線に転換し、数度のクーデター未遂が発生したものの、基本的には正当な選挙で国会議員と大統領を選出し、現在に至っています。 主な産業は農業、キャッサバやプランテーションバナナなど。主な輸出品は、独立前から主力だったカカオ。近年は海底油田の開発が進み、産油国の仲間入りをしました。